未来は、最初から職業の名前をしていない
大人は、子どもにかなり自然に、こんなことを聞きます。
「大きくなったら、何になりたい?」
やさしい問いに見えます。
可能性について聞いているようにも見えます。
でも、その問いの中には、ひとつ前提が隠れています。
未来には、すでに名前がついている。
医者。エンジニア。先生。デザイナー。起業家。
この中から選んでね。
まだ存在していない未来を、すでに存在している職業の名前で答えさせる。
最近、これは少し順番が逆なのではないかと思うようになりました。
もしかすると、先に聞くべきなのは、
「何になりたい?」
ではなく、
「何が気になる?」
なのかもしれません。
職業になる前には、たいてい小さな違和感がある
ずっと電車の音を録音している子どもがいる。
ゲームをクリアすることより、誰も気にしない場所を歩き回ることに夢中になる子がいる。
昔いたはずの虫が、いつの間にかいなくなったことに気づく子がいる。
誰も押さないボタンを見て、
「だったら、なんでここにあるんだろう」
と考える子がいる。
どれも、職業には見えません。
役に立つようにも見えない。
だからこそ、面白いのかもしれません。
興味が専門性になる前には、もっと小さな形があります。
気になる。
腹が立つ。
どうしても見てしまう。
何度も同じことをする。
ほかの人は通り過ぎるのに、自分だけ足を止める。
その段階では、まだビジネスモデルもありません。
市場カテゴリーもありません。
学校の教科にもなっていません。
職業名もありません。
あるのは、ただの断片です。
名前がついた後のものを見つけるのは簡単です
何かが産業になれば、認識するのは簡単です。
職業になれば、学校はそれに向けた教育をつくれます。
市場として測れるようになれば、企業は参入戦略をつくれます。
トレンドに名前がつけば、誰もがレポートを書けます。
難しいのは、その前です。
何かが起き始めている。
でも、それが何なのか、まだ誰にもよく分からない。
この期間は扱いにくい。
制度はカテゴリーでできているからです。
教育には教科が必要です。
企業には部署が必要です。
市場には業界分類が必要です。
人には肩書が必要です。
でも、現実はそんなに行儀よくできていません。
新しいものは、しばしば既存カテゴリーの間から現れます。
気候の問題が、労働の問題になる。
AIの問題が、文化の問題になる。
孤独が、インフラの問題になる。
昔のSNSが、記憶の問題になる。
古い機械が、技術の時間を考えるきっかけになる。
子どもの奇妙なこだわりが、まだ名前のない専門性になる。
面白いのは、断片とカテゴリーのあいだにある時間です。
SHIRO & Co.も、そこから始まる
SHIRO & Co.では、最初にこう問いません。
何を作るべきか。
先に見るのは、断片です。
市場で起きた小さな変化。
街の中で変わったこと。
技術の使われ方の違和感。
システムが想定していた使い方と、人間が実際にしていることのズレ。
ひとつの文章。
ひとつの消失。
何の意味もないかもしれない、小さな変化。
それを観測します。
別の場所にある断片とつなぎます。
まったく違う領域に見える出来事を並べたとき、何が立ち上がるのかを考えます。
私たちが使っている基本的な流れは、
Fragment → Observation → Connection → Meaning → Form
です。
最後の Form という言葉は重要です。
Productではありません。
最初の段階では、その観測が何になるべきなのか分からないからです。
あるときはソフトウェアになる。
あるときは事業仮説になる。
あるときは研究テーマになる。
あるときはエッセイになる。
あるときは物語になる。
そしてあるときは、何にもせず、観測だけを続ける方がいいこともあります。
NOT YET
同じ考え方から生まれた、小さなプロジェクトがあります。
NOT YET です。
出発点にあったのは、
子どもに、あまりにも早く「興味」を「職業」に翻訳させているのではないか、
という違和感でした。
「何になりたい?」
ではなく、
「何をずっと見てしまう?」
「何が気になる?」
「何に腹が立つ?」
「誰にも頼まれていないのに、何を続けている?」
そこから始めます。
NOT YETには、まだ職業になっていないものについての12の短編があります。
消えていく音。
終わらせたくないゲーム。
AIにうまく届かない言葉。
時間をまとったもの。
学校には存在しない教科。
ニュースになるほど重要ではなかった一日。
どれも、わざと小さくしています。
12個の未来職業を発明することが目的ではないからです。
もう少しだけ、好奇心のそばに居続ける。
そのためのものです。
私たちは、消えていくカテゴリーに向けて子どもを教育しているのかもしれない
この問いが以前より切実に感じられる理由は、ひとつあります。
AIです。
AIによって、技能と仕事の関係は変わり始めています。
かつては専門職に属していた仕事の一部を、システムが担えるようになっている。
人間と機械の新しい組み合わせも、制度が名前をつけるより速く現れています。
でも、その答えが
「2040年にどんな職業があるかを、もっと正確に予測しよう」
でいいとは思いません。
それでは同じことを繰り返しているだけです。
まだ来ていない未来に、先に名前をつけようとしている。
むしろ、もっと長く残る力は別のところにあるのではないでしょうか。
気づくこと。
なぜ重要なのか説明できない段階でも、興味を持ち続けること。
違うカテゴリーにあるもの同士をつなぐこと。
答えの出ていない問いに耐えること。
まだ弱いうちに、変化を見つけること。
これは子どもだけの力ではありません。
企業にも必要です。
研究者にも必要です。
行政にも必要です。
つくる人にも必要です。
未来は、たいてい、驚くほど小さく始まる
私たちは未来を、大きなものとして想像しがちです。
ブレイクスルー。
新製品。
新しい産業。
危機。
でも実際の未来の多くは、もっと静かに始まるのかもしれません。
いつもの場所が、少し違って見える。
誰かが技術を「間違った使い方」で使い始める。
壊れたものを、理由もなく捨てずに持っている。
会議の議題にはない問いを、誰かが口にする。
大人から見れば無意味なことに、子どもが異様に夢中になっている。
ほとんどの断片は消えます。
何の意味もなかったものもあります。
でも、ときどき、一つの断片が別の断片につながります。
さらに、もう一つにつながる。
そこにパターンが現れる。
意味が立ち上がる。
そしてずっと後になって、私たちはそれに名前をつけます。
市場。
職業。
プロダクト。
運動。
その頃には、いちばん面白いところは、もう終わっています。
だから、最初に問いたいのは、
これは何になるのか。
ではありません。
まだ、それは早い。
まずは、
なぜ、みんなが通り過ぎた場所で、あなたは足を止めたのか?